こんな方におすすめの記事です
○自社の技術を横展開して、新しい製品・事業の創出を目指しているが、なかなか製品化にたどり着かない
○アイデア創出後、事業化までのプロセスに課題を感じている方
○BtoB企業だが、BtoCの事業を創出したい
急激な産業構造の変化のなかで、多くの企業が変革をめざしこれまでにない“何か“を構築しようと、新規事業を模索しています。
長年のBtoB企業が、BtoCへの参入をめざすのもその一つ。しかしプロジェクトをたちあげ、アイデアも見えてきたにもかかわらず、
その先にある社内外の数多の壁にぶつかり、途中で“消えていく“ケースが多くみられるのも事実です。
そんななか、株式会社東海理化では、デザイナー主導のもと、2016年にはじまった新規事業プロジェクトが、ついに発売まで辿り着きました。
プロジェクトが、市場まで辿り着けた理由は?
どうやって壁を越えてきたのか?
そして、それは社内に、どんな意味をもたらしたか?
スタート当時から企画を推進してきた、東海理化の石丸氏と伴走を果たしたトリニティ 山口の対談でお届けします。
聞き手:中森志穂(トリニティ株式会社 デザインリサーチャー)
ライティング:藤枝祐子(karawari.lab)
株式会社東海理化電機製作所様 インタビュー
-プロジェクト始動の背景
【トリニティ山口(以下、山口)】先日、僕が以前伴走させていただいた「新規事業プロジェクト」発のアイデアが、いよいよ商品化されるとお聞きしました。
【東海理化石丸氏(以下、石丸)】そうなんです。当初は自社技術を活かしたペンのアイデアを製品化まで検討していましたが、仕様を変更してもうすぐ(発売※2021年8月インタビュー時)のところまで来ています。
【石丸】実はこのペンの“発売までの紆余曲折“をきっかけに、デザイナーとしての仕事への向き合い方が変わり、いまは社内体制をととのえ、ブランディング~ものづくり、販売にいたるまでおこなっています。
—お忙しいなか、お時間をいただいてありがとうございます。では、まずプロジェクトのスタートからお聞かせいただけますか?
【山口】石丸さんとお話するために、当時の資料を見返していたのですが、なんと最初の資料の日付が2016年だったんです。あれからもう5年も経ったのですね。お互い記憶を辿りながら、思い出話的にいきましょうか。
【石丸】そうですね。本当に、あきらめずよくtoC向けの商品が出せたなと我ながら思います。
まず、プロジェクトを立ち上げる前年の2015年に、私が量産デザインから、企画、先行開発デザインへ移りまして、デザイン部が以前より取り組んでいた産学協同プロジェクトを任されることになりました。産学協同プロジェクトはおよそ10年前から行ってきましたが、そこで出たせっかくのおもしろいアイデアが自動車の開発品まで辿り着かないことが課題でした。
着任してすぐ従来のやり方から大きく変えて、学生のアウトプットを自動車メーカーのデザイン部に提案しましたが、メーカーでの開発スケジュールが決まってしまっているなかで、途中でサプライヤーが産学協同で出たやわらかいアイデアを提案したところで、そこに食い込んでいくことはほとんど不可能に近い、といった状況がありました。
また産学協同に携わって感じたことは、学生は自動車が身近な存在ではなく、よく知らないことと、家電や雑貨など身の回りのプロダクトの方が関心が高いということでした。そこで、自動車開発で培った技術を異業種でも活かせるのではと思い、2年目の産学協同で、従来の自動車をテーマとした案と、自社技術を活かした異業種プロダクトをテーマとした案の2案を当時の部長にぶつけました。結果、産学協同は今までのテーマとして進めることになりましたが、異業種プロダクトもおもしろいということで別企画として動くことになりました。そこで2016年の末にトリニティさんに相談したという背景があります。
【山口】なぜ、トリニティに?
【石丸】当時、自動車以外の業界のことを知っているパートナー候補を私が知らなかったなかで、同じく産学協同に関わっていたデザイナーから紹介してもらいました。
【山口】そうだったんですね。
【石丸】自動車しかやってこなかった私たちが異業種にどう参入していくのか・・・という思いから、様々なプロジェクトに関わってきたトリニティさんに相談に行ったのを覚えています。
—当時、プロジェクトに対する会社の期待値は高かったのですか?
【石丸】いえ、全然(笑)。当時は30代前半だったので、とりあえず泳がせたのかもしれませんね(笑)。期待値が高くなかったからこそ自由にやらせてもらえたというメリットはあったと思います。
【山口】一方で、2016年というと、自動車業界全体が大きく揺れた時期でしたよね。
【石丸】そうです。それまで割と膠着した業界だったのが、電動化の動きが加速したり、家電業界が自動車業界に参入してきたりと、カオスな状態でした。こういう状況なら、これまで自動車関連一辺倒だった当社も、自動車以外の分野に行ってみてもいいんじゃないかと。そんな雰囲気は確かにありました。
ペンのコンセプト展示(2019年 東京ビッグサイトにて)
展示会での来場者の声が製品化への後押しとなった。
-デザイン部、技術部を集めて行ったワークショップ-
ーそして、プロジェクトが動き出したのですね。会社から提示された条件は何かあったのでしょうか?
【石丸】先ほど山口さんからもあったとおり、自動車業界は大きな転換点を迎えていました。それは“当社にとって”もイコールです。自動車自体のオートメーション化が進み、スイッチ類が“物理スイッチ“ではなく画面のなかに入った‘’タッチパネル式‘’になったり、ハンドルの芯材もマグネシウム*からアルミに切り替わっていった時期で、それまであった商権をどんどん失っていくというタイミングだったのです。
【石丸】そもそも東海理化という会社は、「スイッチ」類の開発・製造からはじまったという経緯もあり、「スイッチ」周りの面白い技術・特許をたくさん持っています。ですので新規ならなんでも、ということではなく、むしろこのままでは消えゆく製品の技術を何か別のものにいかせないか、という経営的な理由もありました。
【石丸】デザイン部、技術部を集めて行ったワークショップでは、「東海理化らしさ」とはなにかという「棚卸し」からはじめましたよね。技術に詳しい大学の先生にも入っていただいて、結果「エモーショナルスイッチ」がテーマになったと記憶しています。
その後、「エモーショナルスイッチ」について、アイディエーションワークショップを進めていくことになります。
ーワークショップはどのくらいの日程で行ったのですか?
【山口】ワークショップ自体は2日間です。Day1で、価値の棚卸をして開発テーマを決定した後、Day2でアイディエーションを行いました。
【石丸】それまでも、みんなで集まってブレストはやっていましたが、プログラムというカタチで体系立てて積み上げていくのは、その時がはじめての経験でした。デザインの人間だけでは偏りがでるので、技術や生産に近い部署の人にも声をかけて、確か6~7人だったかと。結局、Day2のアイディエーションでは、100案近くも考えることができました。
ーその後の動きは?
【石丸】大勢で集まって行ったのはそこまでで、アイデアの絞り込みは私と山口さんで決めていきました。この時の最終案が、指先の圧力(握圧)をスイッチで検知するタッチペンというアイデアで、今回のペンの原型になりました。すぐに自社内で確認用のモックアップをつくり、受容性調査も行いました。人間工学の先生や、書道の先生、教育に詳しい方にも意見を聞きにいったりして。ワークショップのあとも、山口さんにはずっと伴走していただきました。
【山口】ワークショップのあとは、本当に限られた人数で粛々と進行させていきましたよね。僕が知っている感じでも、多いときで3〜4人、石丸さん1人という期間も結構あったはずです。
【石丸】そうですね。実はペンのアイデアを出して間もなく東京モーターショーの企画を任されることになり、そこで異業種企画は1年近くストップせざるを得ない状況になりました。しかし、あきらめたわけではなくて、そもそもプロジェクトを立ち上げた時に、今回はとにかく最後までやり抜こうと決めていたので、休止期間はあったものの、頭の片隅にはしっかりとキープしていました。
-外からの評価で自信をつけ、上層部を説得-
【石丸】その後、本業務の方がすこし落ち着きリスタートしようと思っていた時に、偶然、「DESIGN TOKYO」のPROTO LABという企画展示があることを知りました。外からの反応を知るために、そこに応募してみたいと役員に直談判にいったところ、「まあやってみろ」という話になりました。ダメでもともと、何かのきっかけになればと思い応募したところ、選考に通ることができまして、無事展示されたわけです。
ー評判はいかがでしたか?
【石丸】おかげさまで、上々の反応をいただきました。「握ったときの感触がいいね」とか、「これまでにない心地よさだ」とか。
おもしろいのが、カーデザイナーの反応がものすごくよかったことです。知らずにクルマっぽさが出てたんですかね(笑)とにかく、この“外からの評価“を得られたことで、「なんで当社がペンなんだ」と言っていた上層部の見る目が変わったんです。そしてこの展示会が転機となって、一気に製品開発へと進むことになりました。
【山口】これまでBtoBの業態で進んできたなかで、製品や提案に対する評価はクライアント企業が行ってきました。それが、このペンに関してはBtoCということで、発売するか否かの判断を経営陣が自ら行わなくてはならない。しかし、その評価軸をどこに置くかは、会社としてはじめてのことなので、実際非常に難しいところだと思います。それが外からの評価、というものが得られたことで、後押しになったということですね。
ーそこからは一気に?
【石丸】自分も、会社もはじめてのケースですので、そのあとの手段やどういったプロセスを踏むのかといった知識がまったくありませんでした。そこで上司も巻き込みグループ会社や関連会社に相談したところ、なんとか製品化までの道筋をたてることができたんです。
そしてグループ会社協力のもと基本設計も完成。中国の開発、生産工場へ行って交渉に入る…というところまできてコロナ禍に突入。また一時休止となりました。
【山口】なかなか発売させてくれませんね(笑)。
【石丸】2020年の秋には開発を再開しました。オンラインで交渉しもう少しで満足いくコスト水準まで来ていましたが、タッチペン市場がすでに飽和状態で、安くて性能の良い中国製品が溢れてました。今頃出しても勝ち目はないと思い、タッチペンからボールペンに仕様を大きく変更しました。展示会でも性能よりデザイン性や持った時の感触を気に入られる方が多く、ペンそのもののカタチ勝負でも「いける!」と感じました。
-プロジェクトのもう一つの目的-
ーなんども壁を乗り越えてきたわけですね。ところで、このプロジェクトには、もう一つの目的があったと伺っています。
【山口】プロジェクトの中盤頃から、「デザイン部員のモチベーションアップ」という側面も意識するようになりましたよね。
【石丸】当初はとにかく商品化まで持っていきたい、ということに集中していたのですが、プロジェクトが進行していくにつれて、少しずつまわりの意識の変化に気づくようになりました。
【石丸】どういうことかというと、これまでもデザイン部としては新しい提案は各自、各グループで行ってはいたのです。しかし産学協同と同じように、自動車メーカーの開発スケジュールが既にきまっているなかに割り込んでいくのはかなり難しく、結果、メーカーの要望に応えるだけという状況が続くなかで、「アイデアはあるのに、出口がない」というフラストレーションが常態化していたのです。
【山口】最初のワークショップの日に、東海理化という会社のイメージを皆さんに聞いたら、ネガティブな言葉が結構でてきたのを思い出しました。暗いというか、あきらめ、といいますか。
【石丸】それが、今回BtoC商品としてエンドユーザーに直接届くという道をつくったことで、自分たちがデザインしたものが、ユーザーの目に触れる歓びを改めて知ったというか。思いもよらないところに、「アイデアの出口」の可能性を見いだせたことで、デザイン部員、特に若手の期待値や熱量は上がったと思います。
–デザイン部有志でチームを結成、「explorica」の誕生-
―ペンの発売決定までいくどもドラマがあったわけですね。しかし、ここからもうひと波乱あったとお聞きしております。
【石丸】そうなんです。プロジェクトは、ペンという1アイテムからスタートしたのですが、発売を前に東海理化としてBtoCブランドを立ち上げることになりました。
【石丸】そもそもは、ペンの開発、商品化を機に今後も継続的にアイデアを考えていきたいと思い、デザイン部内で熱量のあるメンバーに声かけをし、いい意味で「東海理化」らしくない商品開発をめざすチームを結成することにしました。当初3人で活動していたのですが、チームの結束力やモチベーションをあげていくために「チーム名」をつけることにしたのです。
―チーム名をつけるというアイデアはどこから?
【石丸】今度、チームを作ってこんな活動をしていこうと持っているんです、といったことを雑談的に山口さんに相談したことがありまして。そのなかでチームの名前をつけたらいいんじゃないかということで、ネーミングアイデアを一緒に考えていただきました。
【石丸】そのなかに、「explorica(エクスプロリカ)」というのがあり、ピンと来たんです。今後の方向性を考えるなかで、東海理化らしくなく、けれど東海理化のDNAを持っているというモノづくりをめざしたいと思っていたこともあり、「explore(探究)」というワードと、最後に「理化」という社名が入っているのは、めざしたい世界感ととてもマッチしていると感じました。
チーム名を決めたあと、自分たちですぐロゴもつくりました。そして試作品やデザインモックなどにも、いかにも、という感じでロゴを入れたり、あらゆるところにあそびごころのつもりで使っていたんです。
【石丸】この時、デザイン部の企画グループマネージャーも務めていましたが、デザイン部の年間の活動を社長にプレゼンテーションするという機会がありまして、企画グループの本業といいますか、自動車関連の3~4の案件とあわせて「explorica」のことも活動として報告しました。その時の、チーム名をつけたり、ロゴを作っていたるところに露出させたりという、これまでにない活動と「explorica」という名前がどうやら社長の印象に強く残ったらしく、、、ペンという単体の商品を世に送りだすというよりも、これから東海理化としてBtoCという新しい分野に進出していくための「ブランド」名として認知してもらい、展開していくことになったのです。
【山口】それが「explorica」ブランドということですね。先日、Webサイトも拝見しました。
【石丸】そうなんです。これまで当社は自動車の限られた空間を、スイッチなどの「ふれる」製品を介して快適にしてきました。それらのノウハウを活かし、生活の中のあらゆるモノに「触れるここちよさ」を提供するブランドに育てていきたいと考えています。
デザイン部時代のBtoC開発メンバーでの一枚。チーム名は「EXPLORICA」。この名前が後の進化のキッカケとなる。
後半へ続く
インタビューの後編では、一商品からブランド化へと進んでいくその後の展開、そしてなぜアイデアで終わることなく、製品化を実現できたのか。多くのBtoB企業が直面しているであろう「壁」の乗り越え方などについて、お話しいただきました。
*注1:マグネシウムは東海理化株式会社の得意とする領域で、マグネシウム鋳造技術と、軽くて強い素材特性を活かし、様々な領域に展開しています。
(マグネシウムを活用した開発に関するお問い合わせは TEL:0587-95-5211 まで)
>【事例紹介 株式会社東海理化様 新規事業開発プロジェクト インタビュー】「1本のペンから自動車部品メーカーを動かしたデザイナー」(後編)
株式会社東海理化電機製作所
トヨタグループの一角を担う自動車部品メーカー。「人とクルマの間に生まれる感動をかたちにする」をコンセプトに、人の意志をクルマに伝えるヒューマン・インターフェイス部品をはじめ、セキュリティ部品、セイフティ部品などを開発・製造する。1948年設立。
explorica
東海理化オリジナルのBtoCブランド。
自動車部品、特にHMIの開発で培った「ふれる」を起点に「ここちよいデザイン」の視点を他業種製品にも活かしていきたい想いから、2020年より本格的に企画をスタート。2021年に市場導入。
石丸 晋也氏プロフィール
新潟県出身。2005年 東海理化入社。デザイン部配属。
自動車のコックピット周辺の量産デザインや先行デザインを経て、現在は新規事業管轄の部署に移りBtoCブランド「explorica」のプロデュースを担当。
プロジェクトメンバー
・デザインプロデューサー:山口崇
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